2005-12-03

フランス日記:その2

現地時間 10月9日(日) 昼 @パリ <ワークショップ>

日曜日の昼下がり。会場付近の大通りには、たくさんの人と車が行き交っている。
少しばかり南下すれば、かの有名なバスティーユ広場があるのだから無理もない。
200年ちょっと前、市民によってここにあった牢獄は陥落し、今ではこの専制政治の
象徴であった要塞跡地に建った記念碑の周りを車たちがグルグルと賑やかに通り
過ぎるばかり、そうなれたのも金色の天使が翼を広げ見守ってくれているからだろう。



本日の会場となる「JIPANGO」は新たに自由の象徴となったこのバスティーユの記念柱の
精霊の囁きが届きそうな位置にあり、フランスと日本の懸け橋となる活動を支えている
言わば日仏コミュニティセンターとして機能しているスペースだ。ちょうど、というか
会場内は先日まで催されていた、ザ・日本文化にあふれて、これから当の日本人が
乗り込んでエスニックなことをやらかすには、たぶん、もってこいの場所だ。にしても
畳、ししおどし、漆器などのグッズに、壁を飾る山水画に数々の屏風絵、その中でも
風神雷神図は、、、コワイよ、やっぱり。子供たちがたくさん来るのに、平気だろうか
の気迫に溢れていた。





大通りを少し奥に入るだけで、喧騒とは無縁の世界が広がるこの会場に到着するなり、
自分の準備もそっちのけ、入り口の段差を解消するために、ダンボール陸橋の工作に
着手したのも、迫力満点の二神に暗黙のプレッシャーを掛けられていたからに違いない
などと考えていると中庭のスペースから明るい声が響いてきた。どうやら天使たちが
大挙押し寄せてくる合図のようだ。無事、橋梁工事を終え、これで日本とフランスの
市民たちはどこにもつまずくことなく今日のイベントをこなせるはずだ、と自画自賛の
にやけ笑いを、悟られないよう微笑みに切り替えて、にっこり天使たちをお出迎え。



ご両親に連れられ続々とやってきた、日本語とフランス語を交互に話すとっても器用な
彼らは、なぜかシャボン玉やコインなどを持参していて、こちらもまた会場に着くなり
すぐ吹いたり転がしたりする。これも、力強い風と雷の神様に煽られているのでは、と
勘繰ってみたりするが、見渡せば、ぐるりと周りを取り囲む、お父さんお母さんらの
やさしいまなざしがあって、こっちだな、と納得する。それでも、まだ何事も始まって
いないのに、こんなにもくるくると会場内を所狭しと駆け抜け、飛び回っているのは、
やはり、あの方々のせいなのだな、という思いが、これなら上手くいくだろう、という
確信にもつながったりして、ありがたいお力は遠慮なくお借りしようと決めた。



さて、いよいよ海外デビューとなる音楽ワークショップ「おとのおと」がここフランスは
パリから、という妙な思い入れで肩に力が入ってしまわぬようにとリラックスを心がけ
、、、というのはウソで、すでにこの時点で、すっかりお気楽気分であったりするのは
つい先ほど「寒太郎」になったからなのであった。

何が起きたのか、というと、NHK「みんなのうた」の冬の定番「北風小僧の寒太郎」
(井出隆夫:作詞、福田和禾子:作曲)そう、あのマチャアキ(堺正章さん)が、もしくは
サブちゃん(北島三郎さん)の
味わい深い歌に、月岡貞夫さんの素晴らしい映像
(初回ヴァージョンはアニメーションと実写の合成、
もちろん高橋はこのマチャアキ版を見て育った)で放映されていたアレで、
冬の到来を告げる北風を、寒い北の国から、都会へと旅する寒太郎の姿になぞらえた、
この日本人なら(たぶん)誰もが知っている歌に合わせ寒太郎コスプレ(!?)で登場したのだ。

といっても寒太郎は、和風テイスト全開の股旅姿。上から、三度笠、江戸と大坂を毎月
三往復した江戸時代の飛脚に由来する笠を被り、手には手甲をはめ、ももひきはいて、
足には脚絆を巻き、長脇差を携えて、マントを背負い、頬は紅く染まり、凛とした目を
しているのだが、出来上がったのは、この寒太郎から凛々しさを、そして、これまた
股旅姿の大メジャー、渡世人、木枯らし紋次郎(中村敦夫さん演じる、原作:笹沢佐保、
監督:市川崑による時代劇のテレビシリーズ)からワイルドさを、きれいさっぱり抜いた
Tシャツ、コットンパンツ、スニーカー、風呂敷のゆるゆるな姿のニセモノであった。

こうやって明らかに中途半端な日本のイメージを外国の方々に植え付けてしまうことに
なるのは、寒太郎だって言ってるのに、木枯らし紋次郎でもいいか、と、世を忍ぶ姿で
放浪中の身よろしく三度笠を深くして顔を隠し、さらに、トレードマークの長爪楊枝の
代わりに中指ほどの緑の笛をくわえて、ぴーぴー鳴らしながら子供たちの前に出てきた
こと、つまりは明らかに寒太郎でも紋次郎でもない謎のキャラクターになってしまった
ことに他ならぬわけで、申し訳ない、と謝罪するしかないのだが、そもそもフランスの
ちびっこ達には、いったい何が、どこが間違っているのか到底理解しうるはずもなく、
一瞬、きょとん、ぽかん、のち、これがそーなのか、と、いう不思議な雰囲気が当たり
一面に漂った。

が、それでも、みんなが口々「カンタロー」と確認するかのように呼んでくれ、はしゃぎ
だすのをみると、こんなハンパな姿でも、なにかしらは伝わったのだな、と少し胸を
なでおろしもした。当たり前のことだが、日本の文化を正しく伝えるなどというのは、
そう容易いはずもないのだが、少なくともこんなにステキな、まさに「みんなのうた」が
日本にあることが、わかってもらえたことを思えば「北風小僧の寒太郎」を選曲、演奏、
演技指導(!?)、そしてなにより、この、自身の企画に出演させてくれたアヤコレットに
感謝するばかりなのだった。

もちろん、このままのスタイルを日本でやったら、こんなの寒太郎じゃないっ、と叱責
されること必至なのは、当然ながら理解し、きっちり自制いたしますので、このたびの
一件につきましては、怒らないでください、いや、もうしませんから許して、ではある
ことも確かなのだが。。。


去ってゆく「カンタロー」

さて、そんなこんなで、初の海外版「おとのおと」はとっても気楽な雰囲気で始まった。
導入は、日本で実施するパターン同様、行雲流水って何?、をプロジェクターを使って
紹介、のコーナーからスタート。ただし今日の場合「カンタロー」が何者か、も合わせて
説明、というか、投影された映像ごと、これがカンタローね、と指差し確認しつつ進行
するのだが、映された画の中の姿も、今日のいでたちも、まったくと言っていいほど
代わり映えしない格好だったりするので、さすがに子供といえども、万年衣装の主が
どれなのかは、すぐにわかるさ、と無言で訴えてくる。その、カラフルで美しいビー玉
2個を通して見れば一目瞭然というわけだ。だが、こちらも、2日前のプロジェクター
投影事故のような動揺を見せることなく、日本でもいろんな活動をしてきたのだよ、と
言いたかっただけなのだ、と、アルカイックスマイルを浮かべ軽く流して、先へ進む。



イントロも簡単に済んだところで、いよいよ音楽ワークショップ「おとのおと」の基礎編
「音を聴く」のお時間だ。音そのものをちょっと意識的に聴く、たったこれだけのことが
音楽を聴くことはもちろん、奏でることまでもが、かなり面白く(かつ難しく)なるという
簡単でまた奥深い、音楽をフレンドリーに、感受、理解、実践、する策なのだ。これも
「おとのおと」では、いろいろな「あそび」を通していつもは行なっているのだが、今回の
場合は、子供たちと実施するのに必要ないくつかの条件が整っていなかったのでパス。
(残念だが、このスタティックゆえにダイナミックなアクティビティは次回へ持ち越し)

というわけで、本日は「おとのおと」の実践編「音を作る」へ、早速突入。まずは、すぐ
そこにある「楽器」として、お手拍子を拝借、する。何も言わなくても、見よう見まねで
始められるので、手拍子はいつでもどこでも使える素晴らしい道具だ。音色の個人差は
多彩なバリエーションを、「演奏」方法においても多種多様な表現が可能、そして何より
複数の手拍子を合わせて作られた音楽が世界中にこんなにも豊富にあるという事実に
勝手に勇気を奮いたてられたりして、「おとのおと」でもネタにさせてもらっているので
あった。

もっともベーシックかつ確実な、まね、をしてもらうことを通し、音色や音量に様々な
変化を加えていく。そして、ある一定の表現を連続させることで、これらはアクセント
となり、拍節リズムを生み出す。これをきっかけにして、リズムを生起させる方法を、
まねする、という、指示されるものから、いくつかの道具により生成される、偶発的な
リズムを経て(自由リズム)、さらには図式的に表示されたものなどを用いることを通し
そこにある規則を利用、その上で様々な相対的解釈を加えて表現する、、、といった
ことに間違いはないのだが、要するに

1、まねして手拍子
2、これ(ボールなど)に合わせて手拍子
3、これ(スライドなど)見て手拍子
4、これの見方(色や形など)を変えて手拍子
5、手拍子の代わりに、別のもの(他の楽器など)
6、手拍子を音程として(様々な楽器)

などなど、以下ありとあらゆる変化をし続けながら「音楽」が「演奏」されるのだ。むろん
最初から、手拍子ではなく、他の楽器などでも実践可能なのと同様、指示する人、物、
方法の組み合わせは無限。音を使ったあそびかた、をいろいろ発見すれば、それでよし
音を使ってあそべば「おとのおと」の完成というわけだ。


終わりの合図


軍手マトリックス(!?)


色と数をよむ

40分程度で、さっくりとまとめあげた初海外進出を遂げた「おとのおと」は、けっきょく
手応え自体は日本で行なうものと、そう変わりはなかった、かな。簡単に、音楽に国境
なし、とは言えないが、思った以上に、楽しみ方を共有することはできる、というのが
実感だ。ただし、ここが微妙な差で、それゆえに大きな隔たりなのかもしれないが、
全員で同じ動作を、ぴしっと合わせるのが、不思議と上手くいかない、というよりも
そのことをあんまり不思議と思ってなかったりする(だろう)ことが、日本人との大きな
違いのひとつ。パン、パン、休み、パン、だけでも、会場が日本なら、呼吸の一致が
驚くほど見られるのに、どうもフランスでは勝手が違うようだ。なんというか、もっと
細かくしてあげないとリズム的な認識につながっていないような気がするのだ。あまり
間がよろしくない、などと言ってしまうと、ひどく日本的になってしまうのだが、実際
おおらか過ぎて締まらない感じを受けたので、このあたりは今後の課題といたします。
(どなたかこのナゾを教えてください)

違いと言えば、もうひとつ。声を出すこと。日本人なら、恥ずかしい、が大きく先立ち
手拍子や楽器の音を出すならともかく、ご勘弁を願いたい、ましてや、緊張感の解放に
なりますから、ちょっとばかり奇怪な声を出しましょう、などと言ったら、かえって
固まってしまうことになるようなことでも、フランス人は何の気なしに、いとも簡単に
やってのけるのだった。むしろ、キター、という感じで、ここぞとばかりに大きく口を
開けて、みんなで楽しそうに、うなってくれるのだ。今回は、緑色の笛をセレクトした
グループが、スライドの色と数字の指示に従って、発声することになっていたのだが、
大人も子どもも、次か、まだか、と前のめりで構えている状態で、だいじょうぶなのか
と、ちょっと心配するほど面白かったし、面白がってくれていた。この相違に関しても
今後の課題に、、、しなくてもよさそうだ。



いずれにせよ、この国民性の差とか民族の差異というように認識されるであろう事象に
特別な違和感を感じて困惑しきったとか、あらためて理解して愕然とした、と、なって
しまうと、なかなか厄介なものだが、この、あれ?と思うことがちょっとばかり増えた
という感覚は、同時に、新しい発見をした、ということにもつながっていたりするので
楽しんでしまえば、勉強にもなるし、なにより実践でつかんだ、こういったズレた感覚
こそ、かえって今後の大きな糧となってくれるのだと思われる。


さて本日も、やるべきことはすべて無事終了。ワインも振舞われ、大人たちはすっかり
ホームパーティーのような雰囲気に包まれた。一方、子供たちは、というと、しばらく
おとなしく、ザ・ジャパニーズおつまみを首をかしげながらも、口にしていたことと、
うが、ぶぐ、ぐお、を腹から出し、手も赤くなるほど叩きまくり、飛んで跳ねて大騒ぎ
していたことも十分効いていて、かなりお腹いっぱいのご様子だったのだが、どうやら
帰り際まで、そのナチュラルなパワーは健在だったようだ。ほぼ、その場で思いついた
であろう新しいボールあそびが始まり、すぐにお誘いを受けることに。曖昧というよりも
微妙極まりないルールは「おとのおと」の何倍も難しく、勝ち負けも、そもそもの目的も
まったくもって見出せないのに、どういうわけだか大盛り上がり。こうなると、もはや
国や文化の違いがどうという問題ではなくて、いきなり形而上の問題をつきつけられた
ような気もしたが、やはり、これも、壁から発する力のせいということにして、気にも
留めないことといたします。



会場の「JIPANGO」が、来場された方々へのプレゼントになるようにと日本料理屋から譲り
受け一角に山のように積んでおいた、お弁当やお菓子を入れる美しい紙製の化粧箱の
数々を、それぞれが持ち帰っていく後姿を眺めながら、きれいなパッケージに釣り合う
中身を渡せたのだろうか、などと、少々殊勝な想いを馳せながらも、カラの箱ばかりを
山ほど抱えて帰宅するというのは、やはり、これはいったいどういう企画だったのだと
いうことになりやしないだろうかと、おかしな方向に動き始めた妄想は、止まることを
知らず、部屋に着いて箱を開けてみたら白い煙が、、、いや、どうせなら、ちっちゃな
天使が入ってて、歌ってくれたらいいのに、などと、膨らませっぱなしにしておいたら
カンタローを再撮影する!、という衝撃の依頼で、ぱーん、と現実に戻ったのでした。



2005-11-18

フランス日記:その1

現地時間 10月7日(金) 夜 @パリ <ライブ>



フランスの隅田川、セーヌを渡り、ほんの少し歩けば、明らかにそこだけ開発から
取り残され、グラフィティというよりイラストレーションな装いを施した古びた壁が
ベストマッチな建物が、今宵のショウの舞台だ。



会場のvoutesは、その名の通りアーチ型トンネル構造をまんま利用した建物で
左の穴にライブ小屋、右の穴には御食事処、お手洗いは中庭をはさんで別棟です
という作りで、お天気良ければ中庭でアコースティックな演奏したら、かなり
トレビアンだろう(実際は、やってそうもなかったが)という橋の下スペース。



天井も高く壁も厚く奥行きもたっぷりのライブ会場本体の音はほどよい鳴りをして
その上、真っ暗。お昼過ぎからもろもろのセッティングを始めたが、ちょっと
油断をすると、前日フランス入りした身体に、深ーい闇が、知らぬ間に迫って
くるので十分注意が必要だ。

会場内の方が中庭より明るく感じられるようになった頃、ようやく準備は完了。
使用する機材(!?)の音量がとっても小さいので、マイクングはブツにギリギリ
寄れるところを何度かねらわなければならず、その微調整と、家電専用の
トランスじゃアンペアもいっしょに下がってまったく動作しなくなるスライド
プロジェクターのための、もう少しきっちりリシゴトをしてくれる変圧器の
到着を待っていたりと、なんやかんや気が抜けなかったので、開演時間までは
闇に足元をすくわれることはなかった。(エリック、サトコさん、メルシー!)

ただ残念なことは、ライブ直前に食べたウマ過ぎるチキン煮(ライク、ノンスパイシー
チキンカレー)が、じわじわとイベント途中に効いてきて、出番後、最後尾の客席で
ひとり闇と格闘していたら頭の中でガンガンと、聴こえてくるはずのないパリ大聖堂
教会の鐘の音が鳴り響く。腹は満ち、気は緩み、睡魔から逃れようと、もがけば
もがくほど鐘は大きく鳴り渡った。日頃、頭痛なんてすることないので、コッチは
電圧が倍だからな、とおかしな納得をすることにしてなんとかやり過ごす。


さて、肝心のライブだが、通常は行雲流水フルメンバーで行なう演目を、2台の
オルガニート(世界に誇る「サンキョー」製のシート読み取り式オルゴール)の
半自動演奏に、いくつかの擬音楽器を即興的に重ねて再現する試みをサラっと
行なう。



曲名は「STEP CANON」。まんまタイトル通りで、一定の輪唱形式を保ちながら、少しずつ
階段型のフレーズが足され長くなっていく、という曲だ。用意したのはオルガニートに
合わせC調に移調もしくはハーモニーが美しくなるように書き換えパンチしたまったく
同じシートを2枚。(オルガニート自体を純正調化しておく時間がなかったのが残念)



1枚は、順方向にセット、さらにそのシートを輪にしてエンドレスループ化。もう1枚は
順方向、上下反転、逆方向、逆方向の上下反転、させて、4種類の異なる曲として
送ることで、さきほどの1枚とのランダムな2重奏となる仕掛け。このような発想自体が
とっても行雲流水的なんだな、と曲を作った本人だけがワクワクしながら、「ノイズ」
パートとしての擬音楽器、さらには2台同時に手回しできるように改造を加えた、この
オルガニートセットの音をコンタクトマイクで拾いピッチチェンジした電子音パートも
ところどころ加えることで、一人行雲流水、をやり遂げた。



いま思えば、どうやらここで一仕事終えた感を味わってしまったことで頭の回転力が
著しく落ちこんだのだろう。引き続き、行雲流水の映像を見せつつ英語でその内容を
紹介するコーナーに自らスライドプロジェクターを引っ張り出して突入。しかし、
投影された画に直接、指をさしてメンバーの説明やら、曲の解説やらをするが、案の定
しどろもどろとなる。



だが、誰が見ても瞬時にそれなりの理解ができる、というのが「売り」のグラフィカルな
スコアを指でたどり、プップップッなどと実践すると、聴こえない音を想像してくれて
いるのであろうお客様方の、ほーほーとうなずいてくれる姿が、眩い光越しに見え、
会心のヒットを飛ばした気分に少しだけ浸れた。

ただ残念なことに、やはりまわらないアタマに連動するかのごとく、しばらくすると
スライドプロジェクターが活動を停止。慌てて駆け寄り、汗ばんだ手を使うことで
功を奏したのか抵抗値を下げることに成功、(ウソです。黒こげになっちゃうもん)
プロジェクターが再始動、、、を繰り返すたびに起こる笑いは世界共通でホームラン。
この後数日間、アレは面白かった、と慌てふためいた様子を、旅の宿を提供してくれた
心優しいフレデリックに何度も再現(モノマネ)され、そのたびに大笑いをプレゼント
したわけなのだから、これもヨシということに、してもらわなくちゃ。。。


こうして、ずっこけ英語とプロジェクターの時間をなんとか切り抜けて、一人よがり
行雲流水、のプレゼンテーションは幕を閉じた。思えば、これがフランス初ライブなのに
朝靄に包まれたセーヌのようなアタマのままでやり過ごしてしまったことは、ちょっと
悔やまれもするが、はじめて、も、時差ボケ、も、こういうものなのだろう。



それでもどういうわけだか、ライブ終了後には、飛ぶように、ということはなかったが
行雲流水1st.フルアルバム「picnic」をお買い上げいただいた方々がいらっしゃったのも
スライドプロジェクターの神さまのおかげと、地下鉄の終電に乗り遅れないようにと、
ちょっとずつ遠くなっていく鐘の音に合わせて、お礼のお祈りを捧げてみたりしながら
ホームへと続く長いエスカレーターを急いで駆け下りるのでありました。

2005-11-10

はじめましてのはじめに

ワールドカップ2006欧州予選「フランス対キプロス」をベッドに寝転びながらテレビ
観戦した。ちょうど一ヶ月ほど前の10月12日、フランスは第4の都市リール駅前の
安くて快適なホテルで、だ。

フランスはこの試合に勝利しなければならないことはもちろん、大量得点を挙げねば、
本戦出場が絶たれるとあって、まさに背水の陣、絶体絶命の試合だった。

結果は4対0でフランスの勝利ではあったが、これでも辛くもの、という内容だった。
後日、機材を運ぶため車を出してくれたフランス人がハンドルを握りながら、

あの試合どう思う?
良かったんじゃない。
ありゃダメだ、6対0で勝てた。
でも、ジダンよくやったし、、、
いや彼はもう年寄りだよ。
(カズはどうなっちゃうの!)

と、フランス代表サッカーチーム勝利の喜びではなく、不甲斐なさへの嘆きが
伝わってきたのもうなずける。たかが、ちょっとばかりのシゴトをしに来た日本人に
良かったね、と言われても、フランスはこれでようやく本戦進出が決定したわけだし
(日本はとうに出場権を獲得している)そもそも一度引退を表明した選手が代表復帰して
活躍しなくちゃ勝てなかったことに、つまるところ、どうした若手、と失望するのも
無理はないのかもしれない。

それでも、この時点では、おめでとうフランス!の気分で、街はちょっとばかり
賑わっていたことは確かだ。そう、1ヶ月前のサン・ドニのサッカースタジアムで
アルジェリア移民の子、ジネディーヌ・ジダンが、また新たに活躍した決戦の日。


そのサン・ドニで発生した事件を発端に、アラブ、アフリカ系移民の若者がいまだに
パリ郊外などで暴動を起こしている。5000台近くの車が燃やされ、約1200人の逮捕者の
平均年齢は16歳という。(11/7現在)

ゲットーよろしく郊外に押し込められ、職も教育も満足に与えられない差別と貧困の中
それでも故郷はあった1世の移民たちと、すでに帰るところさえもないのかもしれない、
その2世や3世の差は想像以上に大きいのだろう。

といっても、暴動を野放しにしておいて良いはずはないが、これを機に、という形で
さらなる移民の排斥運動などが簡単に進んでしまったり、果ては大統領選挙にでも
利用されたらたまったものではないと毎日ニュースをにらみ続けているしかないのだが
1998年、20年ぶり、しかも開催国でのワールドカップを制したフランスチームは、その
半数が移民の混成チームで、極右政党党首の「両親が国歌も満足に歌えないチームが、
本当に代表チームと言えるのか」の発言を、ひっくり返したというか、これこそ真実
ということを示した一件を思い出し、望むべきものは、新しい大統領よりも、新しい
ジダンが登場する、そして、これぞフランス!をもう一度、ということを願う他はない
のだろう、という考えに至った。だって、スタジアムに翻るあの旗は、青は自由、白は
平等、赤は博愛、なんだろ、と。

けっきょく、到底一筋縄でいかない移民の問題も、これから語ろうとする音楽のことも、
歴史を踏まえることなしに、未来はおろか現在も理解することはできないだろうし、
一足飛びに、今までのことはナシで、というワケにはいかないはずなのに、どうも
世の中、即断即結がお好きなようで、歴史認識の差だから、と言いながらも、その差を
考えることはなく先へ先へ、のムードとはズレまくらせていただきました上で、本blog
及びwebサイトは成立しております、と一言申し上げさせていただきたく存じます、と
いうか、本当のところは、ただ単に頭がよろしくないので(最近ますますこの事実に
気づかされることが多く甚だ残念なのですが)次から次へとものが書けず、退屈させて
しまいましてすいません、ということを、まず最初にお伝えしよう、という話です。

ちょうど1ヶ月前の2週間、フランスに滞在し、ライブ、小学校での音楽授業、市民ら
との音楽ワークショップを行なった記録をそろそろまとめねば、と思っていたところに
対談の第1回分(CF text版の注:アヤコレット)でもコメントした、美しい街という名の
ヴェルヴィルが、封切り翌日に観に行ったジャ・ジャンクー監督の新作「世界」の中で
奇しくも語られ、様々な背景を持ち合わせた移民たちの姿が、街、都市というものを
活気付けているのだな、とあらためて納得していた矢先に、この2週間に渡る暴動が
続いて、やはり、これに触れずに「フランス日記」もなかろうと、このような長々の
イントロダクションとなってしまったことを反省しつつ、ゆったり始めます、を宣言
させていただきます。今後とも、お付き合いのほどよろしくお願いいたします!


高橋智之