2007-10-27

グレイソ・ヌッサーヅ:4 (祖父母と職業と身体)


これから本格的な寒さを迎える
北海道でひとり、はつらつとして
日々を過ごす母方の祖母は、
90歳を超えてまだまだ元気なもんだ、
とは母の弁。

他界して20年ほど経つ祖父は
青森から出て、祖母のいる北海道で
いっしょになり、昆布漁を主とする
漁師をしていた。

祖父母が暮らしていたのは襟裳岬にほど近い、浜に面した小さな家だった。
住居部分とその倍ほどの昆布を乾燥させるスペース。”コンブ小屋”と
呼ばれるそこはドライエリアとなるよう天井の高さがあり、剥き出しのままの
立派な柱のせいか、部屋はまるで小型の神殿造りのようだった。

天日で干されミネラルパワーを内に秘めた昆布たちは、グループ分けされ、
長さを切り揃えられるまでは麻ひもで束ねられた状態でブルーシートの下に
ひっそりと部屋の四方に山積みされる。

海と太陽の匂いが充満する小さな神殿の中には天使たちの乗り物があった。

太い梁に麻縄が2本、肩幅ほどの距離をあけ括り付けられ、伸びた先には
4、50cmほどの板が渡されていた。かわいい孫のためにと、祖父が作った
小さなブランコ。じいちゃん家には家の中にブランコがある、が子どもたちに
とって、どれほどの自慢だったことか!

祖父が亡くなるのと共に想い出がいっぱい詰まった”コンブ小屋”も
取り壊された。それは昆布漁ができる期間の仮住まいである、ということは、
子どものアタマでは、なかなか理解できず、冬に”本宅”に連れて行かれた
ときは、騙されたような妙な気分だった。(今も”本宅”に住む、ばあちゃん
には悪いんだけど)裸でいったん外に出てから入りに行く”五右衛門風呂”も
セットで、ボクにとって、じいちゃん家は、あの”コンブ小屋”だった。

なぜ、そんなことを思い出したのかと言えば、一昨日、いつものごとく
チャンネルをカチャカチャしてると、突然、”ソフトな”津軽弁が聴こえて
きたからだ。声の主はアーサー・ビナードさん。青森の詩人、
高木恭造の詩を津軽弁で読み、詳細な解説と、この詩に触れたいきさつを
流暢な日本語で説明されていた。そのゆるやかな話し方、訛りを交えた響きは
突如として、じいちゃんの声とシンクロした。祖父は青森と北海道の”ちゃんぽん”
というかハイブリッドな進化を遂げた(いい加減とも言う)言葉遣いだったから。

寺山修司ではないが、方言の復権をいまさらながら唱えちゃおうかな、とか、寛さん
でも聴くか、という、うれしなつかしの気持ちになったのであった。

【”音”で聴けないし、不親切なことに方言読みのルビもふってないけど
ビナードさんの素晴らしい日本語テクストはコチラで。(”声に出したい”
だとか、”美しい”だとか、半端な考察で言ってる方々の対極だね)】

祖父母に想いを馳せたついでに、ちょいと自分のルーツも考える。漁師の孫で
サラリーマンと専業主婦の子。だから、漁業組合の会計をやってます、、、と
なってたらアレなんだけど、そう単純にはいきません。性格や特性はともかく
気質の根っこみたいなものは見えるかな、って気もしたが、わかったことは
祖父母や両親の情報は思ってた以上に少ない、そもそも何も知らないってこと
だけがハッキリしてきた。まずは、ばあちゃんにいろいろ聞かねば。宿題にしよ。


しかし、思うに、世の中ってホントにいろんな”お仕事”があって、ずいぶんと
面白いことになってるなぁ、と子どものようなことを最近つくづく考えます。
-もしや、現状に対する不満があるのではないでしょうか。
この歳になっても、将来、何になろうかな、と考えているのですが。
-もはや、末期的な症状かもしれません。お薬、出しておきます。

というわけで、お仕事と職業と労働とジョブとワークとビジネスを考えるお薬です。

BRUTUS」 627号特集『スペシャルな仕事案内』
てっとり早く、ただいま発売中の雑誌から。”いやげ物”コレクターとして
みうらじゅん”ボク宝”氏が載ってるのは、いかがなもんかと思いますが
ニッチもさっちものところに新しい仕事が転がっているのかもしれません。

世にも奇妙な職業案内」「同・増感号」 ナンシー・リカ・シフ 著
カイシャとか企業に属することはマットウで、この本にある、赤ちゃん調教師や
におい鑑定人(あのCMのおばさま)、牡蠣剥き人やビンゴ読み上げ人、などが
キテレツとは思いませんが、確かに不思議かつ魅惑的なお仕事がいっぱい。

「お仕事いろいろ」 電気GRooVE 篇
古本屋でこの文庫を見つけたときはビビりました。どうみても男3人コスプレ
写真集です。子ども向けの体裁をとってはいますが、目線はシビアです。例えば

『病人=病気になっているお仕事です。 おもな仕事場は病院や自宅です。いっけん、
なんの社会的貢献もしていないように見えるお仕事ですが、病院や製薬会社の大切な
お得意さんで、そうぎやさんの潜在的顧客というみすごせないポジションにいます。』

非生産的と見られる病人も十分に社会的な価値はあると。もちろん個人的にも、ですね。
『頭って暴走しますからね。どこまでも暴走しうるのというのが頭のすばらしいところ
であって、その点、身体はきわめて保守的なんです。(中略)身体は暴走しないし、
妄想も抱かない。身体はある意味では鈍感な器官なんですよ。鈍感な器官だからこそ、
意図的に敏感にするように仕向けないと。』「健全な肉体に狂気は宿る」 内田樹 春日武彦 著

つまり、頭と身体のバランスが崩れると”頭が悪い”頭は身体に責任を転嫁しがちです。
そこで病気を通せば今一度、身体は敏感になったりするわけです。かくいう私も何度か
死にかけたことがございまして、それ以降は頭でっかちにならず、身体の方に耳を傾ける
ようにしておりますです、はい。もうしばらく乗っていくつもりなので仲良くしなきゃ。
(ちなみに、内田・春日両先生も、だから病気になれ、とは言ってません。当然ですが)

『病みつつある存在、それが人間です。そして、死につつある存在、それが人間です。
だとすると、老・病・死を敵視することは、自分自身を敵視することになります。
それは愚か者のすることです。』 「「狂い」のすすめ」 ひろさちや 著

あぶないあぶない。バカちんになるとこでした。頭がバカでもいいのですが身体がバカ
だと困ります。なので、やっぱりおクスリなら、ちゃんと身体に効くのがいいですね。

『テクノ・ユニット でんき・ぐる~う” 機械で音楽を作るお仕事です。 
おもな仕事場はスタジオやライブ会場です。分類上はいちおうミュージシャン
となっていますが、ちゃんちゃらおかしいことに楽譜も読めなければ楽器も
弾けません。すべて機械におまかせなので、テクニックもいらないのもすごく
ラクチンなお仕事です。ただし、テクニックがないというコンプレックスは強く、
なにかというと「センス」を強調したがります。』(同上)

すばらしい。ちなみに、高橋は、なにかというと「アイデア」を強調したがります。

では、みなさん今日も一日、いいおクスリ(音楽ですよ)で、キメましょう!
すべての、おシゴトがキモチよくなりますよーに!

2007-10-19

グレイソ・ヌッサーヅ:3 (子どもと老人)


代表作「ごん狐」は若干二十歳の作
それから10年余りで世を去り、
評価されるのにさらに10年。
数々の、というにはやはり物足りないが、
その小さな作品たちどれにも同居する
やさしさとかなしさは、いつの日もいつの時も
変わりなく人の心に住んでいることを教えてくれる。

晩年の作「狐」のおかあさんは、
もしぼくが狐になっちゃったら?という
子ども(文六ちゃん)の質問に、
自分も狐になって人里から離れる、と答える。
それで人に追われたら?には、
自分が捕まることで助ける、と語る。

どんなに過酷な状況になったとしても、そばにいてくれるという安心感、
いざというときには身を挺してくれるという信頼感を感じることが
できるからこそ、子どもたちはその後、かなしみもさみしさも乗り越え、
困難に立ち向かっていくことができるのだろう。
『自分が安心できる安全地帯は、過保護に守られるためにあるのではなく、
自由に新しい可能性を探索するためにこそある。』と茂木先生
書かれていたっけ。(「脳の中の人生」中公新書ラクレ)

当然のことながら、子どもを守るというのは、大人の都合や大人の事情で
あってはならないし、自己犠牲を装った自己弁護という最悪のモンに
なってしまうのでは、なんだかここ数日、集中的に報道されているアレの
ごとく、本末転倒と言う他ありませんので要注意だな、と子どもどころか
嫁もおらぬのに考えたりして、、、。

文六ちゃんの問いかけを、おかあさんは真剣に耳を傾けた上で、やさしく
語りかける。稚拙だとか、非科学的だとか、あれこれ理屈をつけて話を
聞こうともせず、さらにはその口まで封じてしまうというような理不尽で
一方的かつ支配的な関係など当然のことながら、ここにはない。そっと
自身も涙をぬぐうところからそれがよくわかる。

こりゃ、マズいと扉の真正面ギリギリに寄りつつ、早く駅に着かないか、と
このくだりを読んでた自分も危うくポロリだった。もちろん、欠伸ですよ。
とにもかくにも、このステキな親子の対話と、どうして子どもは、狐になると
考えたのか、は本編をぜひ一読願いたい。子ども心がよくわかります。

新美南吉の作品は、大人になるためのステップとして、かなしみに触れる
という小さな通過儀礼が描かれているものが多い。たっぷりとやさしさを
吸収しているからこそ、次なる冒険の旅に出かけることができるのだが、
その行く先々で小さなかなしみに出会う。しかし、それらをひとつずつ越えた
あとの確信はどれも力強く、小さきものたちの大きな成長が見られるのだ。

『きょうのように人にすっぽかされるというようなことは、これからさき
いくらでもあるにちがいない。おれたちは、そんな悲しみになんべんあおうと、
平気な顔で通りこしていけばいいんだ。』「疣(いぼ)」(このあとの
「どかぁん」がサイコーなのだ!必読)

「かなしみは だれでも もって いるのだ わたしばかりでは ないのだ
わたしは わたしの かなしみを こらえていかなきゃ ならない」
「でんでんむしのかなしみ」

やさしさを受けたものは、悲しみを乗り越え、悲しみを乗り越えたものは
またやさしくできるのだろう。


『おとなになるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束の
ように思われました。なんとなくさみしい感じがしました。』「疣(いぼ)」

とすると、いまだにふざけてる人生を送っちゃったりしてるのは、大人に
成りきれていないということか、と恐縮しちゃうみなさん、いえ、私には、
処方箋が必要です。いい意味で、一生何かをふざけていくことでまじめに
まで転化した大人たち。まじめにふざけることができる匠の言行録を手元に
置いて、やさしさもかなしさも超える新たな道への一歩をいっしょに
踏み出してみましょうよ。

『本当に最期に死ぬときは年をとっていても、たとえ車イスになっても、
なにか心がロマンで燃えていて、なにか自分のやっていることで周囲に
感動を与えていて、喜ばれていて、惜しまれるなかをね、最期は
ニコって笑って、おやすみって言って僕は死にたいんですよね。』

オーバーセブンティで演歌歌手デヴューした玉ちゃんこと玉村静一郎氏の
名言↑をはじめ『エキセントリックで、パワフルで、まわりからどう
思われてるかなんて、生まれてからいちども気にしたことのないまま、
自分だけの世界を一生かけて築きあげて悔いのない、そういうじいさんたち』
の超絶メッセージを収録したのが都築さん
著書「巡礼」です。今回もまた素晴らしい仕事っぷりに脱帽です。

またまた再放送だったCBSドキュメントで昨夜見たマイク・ウォレス
(昨年米CBSを退職した88歳、長寿番組「60ミニッツ」の看板インタヴュアー。
キング牧師マルコムXケネディホメイニ師アラファト議長江沢民
バーンスタインパヴァロッティジャニス、、、。誰にでも丁々発止の
やりとりが名物のスーパージャーナリスト)本人orインタヴューされた方々のよな
エラいひとにならなくてもいい。ただ狂ったじじい(ばばあも可)になればいい。

あ、ちなみに番組内で登場したホロヴィッツには感激した。ウォレスに頼まれた
”星条旗よ永遠なれ”を忘れたと頑なに拒み続けたかと思ったら、奥サマの
弾きなさい、の一言にしゅんとして弾き始めたかと思ったら、ものの数秒で
ノリノリになって、最期はウォレスともども大満足の大笑いになるのだった。

やっぱロシア系は違うな。というかこの人が違うのか。狂ってていいね。
大学のとき、ちょっとポリーニ好きだった自分も今じゃぜんぜんなのは、
カラダ同様、脳クレイジーさも年々メタボリック化してるってことの証明なのかも。
ま、これでよしとすることにします。、、、では最後にまた新美南吉より。

『世の中は理窟どおりにゃいかねえよ。いろいろふしぎなことがあるもんさ。』
「和太郎さんと牛」

2007-10-16

グレイソ・ヌッサーヅ:2 (私とスポーツ)


音楽で”熱くなりたい”という
気は当の昔に消え失せたが、
スポーツで、はずっと持続してたりする。

といっても”やる”じゃなくて、
もっぱら”みる”。それもテレビで。それも深夜に。
大学生の時のテニスかスキーどっちかが
最期に”やった”スポーツだ。

それ以降は、さらに何でも見ることにした。
それ以前は格闘技中心。※参考

新日全日も国際も女子も
柔道も相撲もボクシングもベニー”ジェット”ユキーデも見てた。

他は、あまりにも王道だった野球にはあまり興味持てなかったけど、
まだまだマイナー感の否めなかった、サッカー、中でも、ケンペス
ソクラテス、にグっときてたし。、、、南米好きだったんだな、今にして思えば。

バスケなどもやってたが(小・中に)それは背伸びると信じてたからで、
(前から2番目=”前へ倣え”で、かろうじて腰に手をあてないで
すんでたのが、高校入る前にちゃんと伸びた、胴中心に。75いった)
どっちかと言うと、昔っから見る方が好きだった。

スポーツの祭典、とにかくいっぱい見れるオリンピックはロス五輪
からハマった。女子バレーをメインで狂ったように応援したっけ。

で、現在、
熱狂の渦に身を置くのは苦手だし、逆にちょっと冷めちゃうぐらいだから
ミッドナイトに、それも一人、よしっ、って盛り上がるのがいい。

夜中のテレビのスポーツ中継って、やっぱり”深夜枠テイスト”で
垢抜けるか、成長するか、”当たる”とゴールデン
に進出ってことになるんだけど、この、密かな楽しみ感、勝手に
選手たちの成長願ってる感が魅力だったりするんだよね。
”いい時間”に行っちゃうとキモチ的にも物理的にも離れてしまうんだけど、
それまでは日曜日のお父さんのおシゴトのように夜中のテレビをハシゴだ。

パリダカ全女、芸能人女子フットサル
(→スフィアリーグ、→すかいらーくグループ)...。
忘却の彼方へ旅立ったものから、発展途上の進行形のものまで。

継続組は、夜中のスポーツ中継の看板番組、F1は、
ホントずーっと。タイレル(ティレルじゃないよ、あくまで)の6輪
にときめいたから。

いろんな意味で荒れた2007年だったなぁ。あ、最終戦が残ってるか。
チャンピオンは誰がなってもいい。パイロット自身の能力は皆スゴい。
だから”政治”で動くのは興ざめ。だったらエンジン音のみの中継で
何も知らない方がいい。

モータースポーツなら他にはモトGP。バイク乗りだった(TS-250)から
レースは気になる。今回のノリックの件は本当に残念。
サーキットの外ってことにさらに胸が痛む。

残念と言えば、驚異的な快進撃を毎回見せてたからねぇ、長兄がさ。
何年前だ、あれ?スゲーのが来たなぁ、って思って見てたからなぁ。
せっかく、大ベテランのお兄さんの胸借りれたのになぁ。
真ん中くんは、もったいないことしたよ。

お兄ちゃんも当時者の弟くんも、当然のことながら誰よりも、宇宙一
強くなりたいのだろう。そしたら、大人のイヤラシイ世界にこれ以上付き合わず
外に出たらいい。ついでに親離れ、子離れもできるし。大海を知れる。
HIROYAくんしかり、錦織くんしかり、きっとホンモノになるよ。

ちっちゃい時は、めーいっぱい甘やかして、甘えて、やすらぎの地を
作って、もらったらいいんだと、「新美南吉童話集」読んでて思った。
それがあればその後、思い切って外に飛び出せる。

「おじいさんのランプ」の一文。「おとなが、こうして遊べといったことを、
いわれたままに遊ぶというのはなんとなくばかげているように子どもには
思えるのである。」

ここからが勝負。安心の上に孤独をもって立ち向かう、そいつが大人だ、と
新美南吉のお話を読んでいるとつくづく思う今日この頃。 つづく

2007-10-13

グレイソ・ヌッサーヅ:1 (ボクの「ボク宝」)


深夜のCBSのドキュメント

ホロコーストがテーマの再放送。
驚愕の事実に、一度見たにも関わらずまた、しょぼん。

二度と消せない腕の刻印も当然だが、この耐え難き記憶は酷すぎる。
早いとこ資料を精査して、生き残っていらっしゃる方には
手厚い保障と同時に生の証言を残してほしいと願います。。。

見るものなくNHKへ。「世界遺産」(今回は「夢と理想のシンボル
~アメリカ・自由の女神像~」)やってた。
パキスタンのタクシー運転手さんが自身の生活in NYを語る。

自国で政治に身を投じ、追われ、新天地の夢を見て、また9.11以降
憂き目に遭う。チャイ1杯の”昼”だけで12時間勤務。同じ車を使う
相方と交代し、深夜ようやくデリで食事。祖国の娘さんを、
アメリカの大学に行かせるんだ、と疲労困憊の中にもやさしい笑顔。

しっかし、デリの食事はウマそうだ。そういえば、ちょっと前に見た
「アジア語学紀行」のネパール編に出てきた”モモ”にもよだれがダラダラだった。
どういうわけか、視覚や聴覚以外の感覚もキャッチできちゃうってのは不思議だね。
テレビ見てよだれが出る、を脳科学的に説明したらどうなるの?
ミラーニューロンとかってヤツのせいかな???

アジア各国の料理に目がないので、あちこち食べに行くけれど(@東京23区)
あの猥雑な感じもセットで、香港へ、それもチョンキンマンション(重慶大厦)
に、そこでわざわざインド料理を時々無性に食べたくなるよ。

けっきょく、香港で一番の思い出がホテルにあるんじゃ、修学旅行の
高校生となんら変わらないような気もするが、あんな絵に描いたような
カオスを味わえるのは、なかなかない。

多数のインド、アフリカ勢、パックツアーなどとは一生カンケーねー感じの
世界中の旅行者と、衣食住すべてにまつわるジャンクもアリの色とりどりの
品々と、ここ数日、歩けば出くわすキンモクセイに負けないスパイシーな芳香が、
山のようなVCDやDVDからもプンプンしてたっけ。全身使うと記憶も濃いね。

そういえば香港で出会った”電子念仏機”のことを以前あれこれ書いたが、
どういうわけだか日本では夏に東急ハンズが突然売り出した。(この時だけだったようだが)

バイヤーさんの目論見は何だったんだろう?お盆は過ぎてたと思うけど
よっぽど信心深い方が突然思いついたのかなぁ?ま、おまつりごとが
なくたって、お祈りは毎日だから、必要な方にはいつでも必要なんだろうけど、
なぜ、急に、日本で、ねぇ。。。

思うに(たぶん違うだろうが)たまたま部屋に積んであった「ボク宝」みうらじゅん著を
読んだのではなかろうか?なぜなら10年前に文庫化もされたこの本の中には、
一項目として”電子念仏機”のページがあるからね。他にわざわざページを割くような
モンって、ないでしょ、きっと。”電子念仏機”などに、さ。

国宝ならぬ”ボク宝”。敬愛する、みうらじゅん氏は「どこかの誰かさんの
価値観や、多数意見で決められている宝、ボクには何の関係もない。」とし、
自身の”好き”だけで、ボクの宝を決めると高らかに宣言する。もちろん私も
全面的に支持させていただきますっ!

「ボク宝」で扱われているものは、モノ・コト・ヒト、多岐に渡るのだが、
そのすべては”ボク宝”宣言に掲げられている通り”愛”に満ちあふれている。
安斎肇」と、今ではすっかり競技会化した”エア・ギター”の10年以上前から
”アン・プライド”(プライドをかなぐり捨て、飲み屋で楽器も
持たずプレイ、アンプラグドから)を敢行し、何度も出版が幻となっている
「エロ・スクラップ」は、日本エロ雑誌の歴史を期せずして編纂することとなり、
ブルース・リー」になるべく、”通信空手家”の研鑽を積み重ね、「怪獣スクラップ」にいたっては
作り手兼受け手である自身を『完成品を一番早く見られるボクは世界一の幸せ者の
読者だったに違いない』とし、さらに「アルバム」の中では『夜、完成したアルバム
(ボクはそう呼んだ)をイヤホンで聴きながら寝るのが一番、幸せな時。ボクは
世界中で一番、ボクの歌のファンだった』との確信にいたる。

どんなにカラ回りしても、たとえ情熱と信念と妄想が入り乱れても、ボクの宝を
求め、ボクの宝と共に邁進する、みうらさんはステキ過ぎる。「マンガ家入門」で
何度も作品がボツになるけれど『泣きそうになりながらボクは、世の中が甘くないん
じゃなくて、世の中を甘く見ていた自分を知った』と気づく。大人ってステキだ。

自分の”好き”が誰かの”好き”であることも多々あるだろう。その自分と誰かの
”好き”が、またまた別の誰かの”好き”ってこともあるに違いない。にしても、
世の中そういうことがちょっと多すぎやしないか。簡単に同志になれちゃうなんて、
どーしたモンだろ(すみません)。

愛深く、志高く、孤独を怖れず、むやみに細分化せず、特定専門領域を持たず、
ヨソ様に何言われても、ヨン様が忘れ去られても、ボクは「ボク宝」級なあれこれを
探し続けます。そして、みうらじゅん氏を「ボク宝」に指定させていただきます!

2007-09-27

フルムーンナイトにゃ何かが。。。

こっそりとあがってまーす。
五回目の「→対談」。

日焼けした腕もかえって寒々しく感じるこの頃、
すっかり季節ハズレの感もありますが
いまさらのお盆企画をお送りいたします。

丑三つ時にでも読んでいただければ、
月よりの使者が舞い降りること必定です。
お月見だんごといっしょに、ぜひぜひ!

2007-08-04

水辺のジオラマ waterscape georamas

小さなジオラマ展vol.5
2007.07.31〜08.31@HERE WE ARE marble(新高円寺)




※クリックで拡大

Create Fantasticallyの挿絵を作っている切り絵作家
藤野真由子が小さい影絵の展示をします。
カフェ「HERE WE ARE marble」カウンター席照明に展示するシリーズ
「小さなジオラマ」Vol.5です。

今までの「小さなジオラマ展」については →cohac.com/m
→ HERE WE ARE marble ウェブサイト

※HERE WE ARE marbleは8/27〜9/3までお盆休みということになったので、展示期間が当初の予定より延長することになりました。詳細決まり次第、追ってまたお知らせします。

2007-07-12

『電子念佛機』とは何か:下 (付:萬佛寺に行ってみれば)

中国旅行の末に辿り着いたものは『電子念佛機』だった!?

偶然で必然の『電子念佛機』と出会ってしまった旅行記の
第二弾でございます。

。。。

帰国の前日、居ても起ってもいられないジオラマチームは、まったく何の
約束も保障もナイままに、香港島の電子念佛機の総本山(らしきものと、
この時点では思ってた、結果、大正解!)に出向くという、ちょっとした
冒険の旅に出るのである。

もっと電子念佛機を知りたい、そもそもこれはどーゆーモノなんだ?
誰がこーゆーモンを作ってるのだ??? 電子念佛機を手に入れてわずか一日で
我々の得体の知れないモチベーションは頂点に達し、こうなったら、
直接現場に乗り込む他にナシという判断を下すことになった。

手がかりは、電子念佛機といっしょに同封されていた小さな商品説明の紙に
記載された住所と日本から持ってきた観光案内用の簡単な地図のみ。

香港島、中環(セントラル)にフェリーで渡り、トラムに乗って、初めての
街に降り立つ。歩くこと5分ほど。雑居ビルの4階にそこはあった。なんだか
あっけないぐらい簡単。もう誰かに導かれてるんじゃないかってぐらい。

エレベーターを降り、入り口の前で深呼吸。再度、看板を確認。意を決して
ブザーを鳴らすと、分厚い眼鏡、ちょっと猫背で、少し足を引きずっている
男性が姿を現した。

ネイホー、ハロー、、、どうやって要件を伝えようかアタマはぐるぐる
あてもなく廻り始める、と同時に、手は前日にゲットしたペンダント型の
念佛機を素早く指差していた(それを首から提げていた真由子嬢は、グイっと
差し出していた)。これです、これ!と二人。

重たそうな眼鏡のつるをちょっと持ち上げ、その念佛機と我々の顔を
一瞥すると、そのおじさんは、そういうことですか、さあどうぞ、とでも
言うように(もちろん広東語で)鉄格子のような扉の内側に我々を招き入れた。

ブルース・リー先生いやジャッキー・チェン、いやMr Boo!、いずれにせよ
香港映画から、そのまま抜け出したかのような風貌に、その動作に、ただただ
感激し軽く眩暈すら覚える。ここまでのシチュエーションだけでも十分なのに
このキャラクター!もはや『ドッキリ』じゃないかと思うぐらいだった。

入り口近くのイスに腰掛けて、こちらを見ているおじさん。ぱたぱた歩き回り
なにやら忙しそうなおばさん。店内=ショップというよりは事務所兼倉庫。
あちこちに机や椅子、商品なのか、はたまた売り物というわけではないのか、
判然としない数々のモノや調度品があふれている。そのせいで、ぱっと見では
電子念佛機そのものはどこにも見えない。

一瞬にして情報がドバっと押し寄せ、視界がせばまり、おずおずと前に進む
ことしかできない我々に、スッと行く先を導く手が指し伸ばされた。あきらかに
ヨソ者の挙動不審な人間に、サッと椅子を並べ、座るように促しつつ、すべての
事情は了解した、と言わんばかりに怒涛の勢いで話し始める一人の女性。

彼女は、生粋の(と言う他ないだろう)香港人。フランスに留学し、日本の企業で
働いたこともあり、大のサッカーファン。自分の信ずるところをもっと広めて
いくために電子念佛機に辿り着いたまでは良かったが、その教えをこの機械の
カタチにすることに協力をしてくれる者がしばらく見つからず、ようやく
巡り合ったのが、ここ、この総本山というわけだった。

あなたたちも、そういうこと?と彼女に聞かれた我々は、ちょっと答えに
窮して、いいえ、ただ我々はブッディズムを勉強している身であります、と
正直にお答えした。

彼女の信ずるものと、我々の学究するものの相違に、ちょっと残念そうに
しつつも、彼女は決してこちらの信仰を否定するようなことはなく(実際の
我々は、純粋に仏教を信ずる者からは、ほど遠いのだけど)、かといって自身の
思うところの素晴らしさをきちんと伝えることも決して怠りはしなかった。

ものすごくエネルギッシュだけど、おおらか。ちょっとまっすぐ過ぎるけど
ユーモアに富んでる。どこにも根拠はないのだが、香港人っていうのは、
こういう人なのだろう、と思う。ま、当の本人も中国人ではなく香港人とは
言ってたけど。

高質量冷激光念佛機

たった一日前、我々は電子念佛機のとりこになった。

それは彼女のようなピュアな宗教心からでも、よしビジネスだ!と商魂
たくましい商人根性(ちらっと思ったりはした:笑)からでも、もちろん単なる
冷やかしからきたわけではなかった。そこんとこは、もう本当に、純粋な興味
というか、大いなる好奇心によってのみ突き動かされた結果の今なのだった。

だから、この期に及んで、ちょっと怖気づく、何か得体の知れない商品を
売りつけられる、とか、とんでもない商談が展開される、とか、宗教的な
おっかない感じになっちゃうんじゃないか、とか、、、そんな考えられる
限りの様々なパターンの不安に駆られるのも当然と言えば当然だった。

だって、我々は、きちんとした話の内容をしっかりアタマに準備してから
来たのではなく、先にカラダが動いてしまったばかりに、よーく考えたら、
そもそも話すことがあるんだかないんだかもハッキリせぬまま(言語的に
話が通じるのかどうかさえ疑問だったし)、行くだけ行こうって決めて
しまったのだから、いまさらだけど、びびって当たり前なのだった。

ただ、そんな心配のあれこれも、ここに偶然に居合わせた彼女のおかげで
すべてといっていいほど解消されてしまったのだが。

偶然に、、、。

そうなのだ。彼女は店の人でも何でもなく、我々と同じ、お客さん(!)
だったのだ。

お店の人、と最初から勝手に思い込んでいたのが事態を飲み込ませにくくした
原因ではある。だが、登場の仕方はどう考えても店員さんだったし、その後の
話も、取り様によっては、我々の訪問意図を聞き出すための高度なテクニックの
一環としての身の上話のようでもあった(と勘違いしていただけなんだけど)。

もろもろの心配がある上に、言葉巧みなマシンガントーク。となれば、完全に
気のおけない状態を作るというのは、どうしたって無理な相談なのだが、反面、
フレンドリーさと出来過ぎのサービスに、和み、安心していたのも事実。
さすが商売人、という気持ちで感心もしていて、それが、そもそも勘違いの
始まりだったわけだ。

もちろん今にして思えば、当初から、私もゲストである、従業員ではない、と
いうことを告知していたのかもしれないが、さすがに、こちらは極度の緊張を
していたせいか、それらしきことを言ってたな、という記憶はまるでない。

だから、もし彼女が本当にやり手の敏腕営業ウーマンだったら、異国の地で
右も左もわからない我々に一生背負い込むような契約を成立させちゃって、、、
なんてこともできたのかもしれない。

しかし、実際は、彼女にしてみれば、我々に接していたのは親切心以外の何物
でもなかった。事実、彼女のおかげで、英語から広東語の通訳のみならず、
俗に言う口利きみたいなことまでしていただき、研究(!:とりあえず、この場
では、そういうことになってます)の為に購入を決めたいくつかの念佛機は
破格の値で、さらに一つは無料で、その上にお守りまで(!!!もちろんキッチリ
身に付けてますよ)いただく結果と相成ったのも、当初抱えていた心配ごとを、
けっきょくは気にせず済んだのも、いずれもすべて彼女がたまたまここにいて
くれたからこそ、なのであった。

我々にしてみれば、このように振舞ってくれた彼女の善意やら真意やらは、妙な
違和感から始まり、話が進むうちにようやくおぼろげな輪郭がチラチラと見えて
きたあたりでグッと加速し、さらに会話を続けながらもじっと考えてたら、
ふとした瞬間に、一番最初を踏み違えたんだ、と、まさにピカっと稲光が走って
納得、エブリシング オーライ!だった。つまり、勝手に誤解をしていて
申し訳なくもあり、でも素直に話を聞いてもいたから助かったなぁ、と、
思い込みのおっかなさと偶然の出会いのありがたさをひしひしと感じた出来事
なのだった。

で、具体的に、どういう話になったかと言うと、

我々が現れる前までに自身の交渉を済まし終えていた彼女は、てきぱきと我々に
いきさつを話し、こちらの話を聞きだしつつ、彼らに伝える。我々を迎え入れて
くれたあのおじさんは、ここのオーナーで、とっても正直者だ、と。それは他を
いろいろ見てきたからわかる、と。私は信ずるものが違うけど、ここなら問題
ない、同じものを信じるなら、なおさら安心だ、と。

だから、あなたたちが信ずるところの教えを広めるのに、この念佛機が必要なら
今後のやりとりは手伝う、と。そして私は私自身の信仰のため、これからも
ボランティアとしてお寺を清め、お祈りし、電子念佛機を無償で配り、自分と
人々のための活動を続けていく、と。ゆえに、あなたたちもそうしたらいい、と。

、、、そこまでは考えていないのですが、、、。我々の次元の、はるかかなた
先に彼女はいて、本当に熱心に教えを実践されているということなのだが、
どういうわけだかそこには、ひとつも、いやな末香臭さや、お説教めいた
ところがなく、むしろ清々しくて楽しそうな雰囲気に満ち溢れていた。

こんな具合で、電子念佛機にまつわる濃密なやりとりは進んでいったのだった。

蓮型電子念佛機

どのくらいの時間、この念佛機の総本山にいたことだろう。彼女の話は本当に
面白くてためになり、エネルギーに満ち溢れてジョークもたっぷりで、件の
眼鏡オーナーに出していただいたお茶を飲むのも忘れるほどだった。

ひとしきり話を聞いたあと、太腿がびっしょり、すでに冷たくなっていることで
ようやく我に返り、グルっと周りを見渡せば、我々の座っていた窓際のテーブル
位置からずっと奥にある棚には、膨大な量のカセットテープがぎっちり並んで
いることに、いまさらながら気がついた。

おそらく、このテープ、念佛機以前の唯一の音源で、直接レコーディングされた
マスターと覚しき年代モノ(かなりホコリまみれっぽい風情だったから)、
となれば、この中には大変貴重な録音も残されているのだろうと推測された。

と言っても、電子念佛機に入ってるのは、ほとんどは、ポップなテイストの
ボーカル曲(って言っていいのかな???)だったりするのだが、さすがに棚に
鎮座した大量の磁性体はそれじゃなく、まんま読経的な、念仏をブツブツ唱える
ベーシックかつ本来的なスタイル(念佛機の中には、まさにこの「念仏」が
収録されてるモノがある)なのだろう、という気がした、というか、それじゃ
ないと困る、いや、困りはしないが、、、。

シンセを使った軽くてノリのいい曲が多く、簡便さ極まりない電子念佛機とは
対照的なこれら一群のズッシリとした重量感のようなものは、これはこれで
とても魅力的ではあった。できることなら数ヶ月かけて全部のテープをじっくり
聴きたいと思ったぐらいだ。

カセットを発見したこともあり、ここにきてようやく落ち着いた気持ちは、
ちょっとした余裕を生み、グルりと見回したついでに、さらに斜め後方まで首を
ねじってみたら、これまたどうして今まで気がつかなかったのか信じられない
くらい大きな祭壇?、いや、ミニチュア版の朱色のお寺が室内に建立(!?)されて
いるのを発見した。

電飾を伴い、さらに赤々としたそれは、お線香の煙の中で、たくさんの方々を
祀っていて、とにかく、お仏壇レベルというようなの大きさではなかった。
もはや、なんとか寺、と、そう言ってもギリギリでセーフぐらいのものが
設置されちゃっているのだった。

聞けば、いつでもお参りできるように、とのこと。と言われても、そうですね、
誰でも家や職場に寺は必要ですね、と簡単には言えるはずがないのは物理的な
ことからではあるが、そう(ですよね、みんなウチやシゴト場にお寺がなくちゃ
ダメですね、と)言わなくて済むのは、ココが電子念佛機の総本山であるからだ。

ここから産み出されるものは、みんなの働き、集い、憩い、住む場にはもちろん
どんな時でも、身近に敬虔な気持ちを手繰り寄せ、祈りの機会を与えてくれる
という本分を持つスーパー・マシーンであり、それは、部屋に寺を建てる、と
まったくもって同義なのだから。

そうして目の前のテーブルの上に並んだ小さな箱に収まった電子念佛機を
あらためて眺めれば、この掌サイズのモバイルマシンの意義と奥深さとに、
そしてどいうわけだか、香港のこんな場所でこんなことしてる自分たちに、
いいよなぁ、やっぱり旅って、と至極単純な感想を持ったりするのだった。

。。。

いかがでしたでしょうか?
正しい仏具としての電子念佛機の在り方を、ご理解いただけましたかねぇ?

、、、なんて、エラそうに言えることなど、実は、何ひとつなく、方便を
あれこれ言う前に、きちんと信心を起こせ、とは、ごもっとも。

実際、、、

香港に来て、どのお寺を巡ってきたのかと、この度、大変お世話になった
彼女から聞かれた我々は、特に決めていたわけではないのだが、なぜか、この(↓)
お寺のことは口を開かずじまいだった。ものすごく魅惑的で感激したんだけど。

この一点において神仏の前で自分を装ってしまったことに、ちょっとだけ
反省したりしておきます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

香港は尖沙咀より、ちょっと北へ。わずか30分程度だが、あの騒音と排気ガスが
嘘のような山の中、にわかに信じられないスピードでクレーンが動く。









山頂のストゥーパを目指すというより、その卒塔婆(萬佛塔)をなぎ倒しそうな
クレーンの動きに引き揚げられるように400段の階段を上がると、お猿さん。










目指すは萬佛寺。10000体以上の仏像が、10年以上の歳月を経て、そして今も
増え続ける。長い中国の歴史、長い長い萬佛寺の未来計画、長い長い長い、、、。








四方を取り囲む色とりどりのお方たちは、陰陽五行説に基づき定位置に鎮座
されているはずですが、頭上を足繁く行くクレーンでミックスジュースの様相。








本堂には1万体近くの羅漢像と創設者の月溪法師の即身仏が、といっても金箔で
覆われてます。経を詠みながら昇天、その後腐敗もせず、というスゴいお方。








我々がココに来たのには、やはり何かの因縁を感じずにはいられません。
アメフォン「ESQUISSE 3/3」の楽曲『虎』、そして、嗚呼、南無阿弥陀仏!

2007-07-03

こーなって、あーなると

一年の半分は
夢のように過ぎ去り
すでに後半戦が
スタートしてます。











先月、、、
新たに2名
メンバーが加わり

またまた【初】となる
ライブをやりまして、

そんなことしてたら
今度は、このメンツで
上記の催しを開催する
運びとなりました。





詳細は、こうです。

まるで、文字を書くのが
メンドーで画像を
貼ってコトを
済まそうとしている
ようですが、、、









そんなことは
ありませんよ。


その証拠に、きちんと告知
しますワン。。。








今週の土曜日、7月7日(土)七夕です。

お昼、午後1時より、文京区の「小石川図書館4階ホール」にて
『おとのおと』を行ないます!

『おとのおと』は誰でも参加できる音楽ワークショップです。
入場無料、先着80名。ココで、はじめて出会う方々と
いっしょに、簡単な「楽器」を作って、「演奏」を楽しみます。

今回は、『nuts』が全面協力!
2007年七夕の『おとのおと』は、行雲流水とnutsの
和洋折衷、いーすとうぇすとこらぼれーしょん、
雲水meets豆、でございます。

みんなが奏でる小さな楽器とnutsの合奏で、真昼間から
彦星と織姫を引っ張り出す企画です。天の川が二人の間を
遮らぬうちに、賑やかしく、たくさんに音を出してあそびましょう。


当日は手ぶらで、ご参加ください。
帰りは、ナゾの楽器やら、楽しい思い出が
ギッチリになる予定です。

ぜひ、短冊に願いを書きにだけでも
いらしてください!

2007-05-28

なにかと話題の中国ですが:その2(映像あげます)

さて、中国旅行映像集の第二弾は、引き続きまして
香港篇でございます。

5月の風が本当に清清しく爽やかなココ日本ですが、
すでに香港は、軽く30度を突破、湿度も80%近く
あちあちのむんむんのようです。

というわけで今回は、いろんな意味で涼しい感じの3本、
かなり早めの納涼作品をお届けいたします。


突如、出くわした水道管破裂(だと思われます)現場。
あふれる水が、深夜の街中のネオンを反射します。

実は外はエラいこと(後日報告いたします)になっている
お寺も一歩中に入れば、ご覧の通り、静謐な空間が。

珍しくお約束の観光コース。スターフェリーで夜の海を
行けば、風と波そして夜景がクールに迎えてくれます。

では、第二弾、どうぞ!

● cf photo → コチラ

まずは、このページでご覧になりたいものを選んでいただき、
タイトルをクリック。

プレーヤーが出てきたら、右向き三角の再生ボタンをクリック。
あとは、それぞれ1分ほど、お付き合いください。

004 : 事故    【香港】
005 : 萬佛寺   【香港】
006 : フェリー  【香港】

2007-05-26

三社祭だわっしょい!


今年はちょっとした事件にもなっちゃった浅草は三社祭
なんだか一年中ココは賑わってる気もするけど、さすがに
この時期は違うね。人も動物も、そしてみんなも楽しそう!!!


おっ、ペアルック!これから三社祭ですか?お二人とも
ギュっと握り締めたこぶしは、固い約束の証拠ですよね
祭りに繰り出そう、っていう。おっと、彼女、指ポキポキ
鳴らさないでくださいよ、ケンカしに行くんじゃ、、、。










青空のもと、キモチ良さそにパイプくわえて、お祭り
見物している緑のお方。握り締めた鉄槌は、お神輿の
修理に使うんですよね。そこからまさかブーメランって
ことは、、、こっちもですかぁ、やめてくださいよぉ。



こちらの方もまた緑の髪、しかもウィンク。さらには親指
だけのマニキュア、しかもピース。このダブルアピール
+大きな声で呼びかける中身はいったい?ほぉ、ボールを
弾いて祭りの行方を占うのですか。スマートですなぁ。


いやぁ、なんだか楽しそうですね。ペロっと出しちゃって
何かおいしいものでも食べました?そりゃ、祭りですからね
ウマいモンいっぱいあったでしょ。最近は魚介やら鶏やらの
鉄板焼きなんかもありますし、え、200円だった、そりゃ安い!










そんなに照れないでコッチ向いてくださいよ。そうじゃない、
踊りの練習中、なるほど。白い方がリーダーさんですか。
みなさん仲良く集まって風に吹かれてキモチ良さそうだこと。
それにしても、その踊り、エラく目が回りませんか?



これは、三社祭のメインである、お神輿三体なんですね。
つまり観音様だから雲の上、赤青黄は当然、何か真理を
あらわして、下界に見えるは、ボクらでしょうね。で、
早くシッポをONして精気を取り戻せ、という教えの図、と。


♪ 三社祭サウンドスケープ:その1→「

♪ 三社祭サウンドスケープ:その2→「

♪ 三社祭サウンドスケープ:その3→「

♪ 三社祭サウンドスケープ:その4→「

2007-05-24

なにかと話題の中国ですが:その1(映像あげます)

先頃、訪れました中国旅行の写真を CF Photo にて
ご紹介させていただきましたが、今度は映像を見て
いただこう企画でございます。

我々の旅行の順を追いまして、1ショット・1カット、
(家庭用DVカメラ1台による撮影なので)1分程度の
短いものをご用意させていただきました。

観光名所や、お役立ち情報とは、まったくもって
関与することございませんし、映像もお見苦しい
ところ多々ございますが、お許しください。

なにげない日常は意外に面白いんじゃないか、
という視点で、ちょっと気になる映像を
お届けいたします。

第一弾は香港篇。

香港人の祈りと憩いの場所、天后廟はかすかに
聴こえる音楽にも注目。

危機一髪!かと思うのは、旅行者ばかり?
余裕綽々の街の人をトラムより。

ノリノリのAmephone。こんなとこで晩ゴハン。
美味いに決まってます。

以上3つです。では、さっそく第一弾、どうぞ!

● cf photo → コチラ

まずは、このページでご覧になりたいものを選んでいただき、タイトルをクリック。
プレーヤーが出てきたら、右向き三角の再生ボタンをクリック。
あとは、それぞれ1分ほど、お付き合いください。

001 : 天后廟   【香港】
002 : トラム(昼) 【香港】
003 : 食事     【香港】※撮影=Amephone

不測の事態がやってきて

高橋です。


ハプニングは、ねらって起きるわけではなく、突然訪れるもの、と
相場は決まっているのだが、さすがに慌てる。と同時に、なぜだか
こういう想定外の出来事が起こるのが、、、ライブって気もする。


ん年振りの(このバンドでは)ライブの朝、というか昼、初披露になる
ベースが壊れた。

今までのリハーサルでは特に問題もなく、そのボディの形状から
(尻がデカい)なかなか適当なケースが見つからず、ゆえに、
ようやく持ち運べるようになったのもごく最近、ある意味かなり
大事にされてきたのに、どういうわけだか、ライブの当日になって
不調を訴えたのである。

どうもピッチが甘い、コイツまで緊張して声が上ずっているのだろう
などとのんきに構え、少し弾いてはチューニングを繰り返し、
お茶を濁していたのが昼過ぎ。

さて、そろそろ行くか、と荷物をまとめつつも、やっぱりなんだか妙だな、
と思ったので、チェックがてら、初陣だしボディを(珍しく)拭き拭きする
ことにしたら、、、わっ! サドル(弦を引っ張って止めているところ)が
宙に浮いているではないかっ!

じんわりと浮かび上がってくる止め具は、本来なら、このサドルを
ボディにきっちり押さえてくれているものなのだが、今は、弦の力で
引っ張り上げられ、通常は見えちゃいけないところまで見えてしまって
いる状態だったりするのだ。

このままライブで使ったら、曲の途中なんかで4本の弦が突然
ハネあげられ、びよーんでぶらーん、となること必至だった。
慌てて、弦のテンションを緩め、しばし呆然とする、、、
ところだが、そんな時間はすでになかった。

もう一本のベースをケースから取り出し、今、緩めた弦をコッチに
張り替える(壊れた方の弦が良かったのだ)。あ、足りない。
そーだ、スケールが違うのだ(ダメになった方が若干短い)。

ピンチヒッターのベースから、再度、弦をひっこ抜き、もともと
張ってあった弦に戻す。そのままにしてりゃ良かったのに、という
ごもっともな考えは、なるべく意識せず、無理は承知で何事も
なかったかのように振舞ってみたりするが、この突発事件の
おかげで昼ゴハンも抜きになったアタマからはドンドン血の気が
引いていった。


、、、そして

とにもかくにも、演奏中にとんでもないことが起こる、ということだけは
避けられることになったと思えば、かえって、ありがたくもあり、
気づけば午前中の雨もウソのように日差しが降り注ぎはじめた。

簡単なもんで、お天気が良くなればココロも晴れちゃって、気分よく出発。
おかげさまで遅刻することもなく、リハもなんとかこなし、緊張感からか
空腹も感じず、いざ出陣の時間を向かえた。


なんだか異様に盛り上がってる会場。ただでさえ狭いのに人がいっぱい。
客席から右側ほぼ2列縦隊の最後尾に陣取ってるため、コロガシ(最前列に
置いてあるモニター)からの音は大変取りづらい(それでなくとも我ら
nutsの音は控えめだった)。

バンド全体は高揚感からか快速運転をするが、いつもと違う弦は、なんだか
指に引っかかり、一人もたもた。バンマスは曲によってギターチェンジがあり、
場つなぎでしゃべるのだが、マイクも置かなかったので、大きな声出したら
急速に空腹感に襲われる。

わずか30分ばかりの初(下記参照)ライブは斯様な状態で、終わればフラフラ。
でも、こんな感じこそが、ザ・ライブ!って気もしてきたし、なにより
一連のドタバタ事情とはカンケーなく、お客様はとっても楽しそうだったのが
なによりの救いでございました。


いやはや、お越しいただいたみなさま、本当にありがとうございました。
予告(?)通り、来月のライブもまた新生(!!!)nutsとなりますです!
よろしくお願いします。

同じメンバーで2回とライブせず、でも10年ほど続いているバンドって、
なかなか希少なもんじゃあないかと思います。それが、売り、って
ことではないんですが、否応なく、毎度、新鮮な気持ちでライブに
臨んでおりますので、ぜひ次回の"NEW"nutsも楽しんでいただけましたら
うれしい限りでございます。

。。。

ライブから一週間。壊れたベースは修理に出すから、その間は、代打クンに
がんばってもらいましょ、と、あらためて弦を張り替えることにした。

もちろん新しいものを購入してきたので、長さが足りないなどのマヌケな
ことにはなりませんよ、と、セットしてペグをグルり、チューニングしようと
した途端、ブチっ。さよなら3弦。

そのままにしてりゃ良かったのに、という、ごもっともな考えは、なるべく
意識せず、無理は承知で何事もなかったかのように振舞ってみたり、、、
は、できそうにもありません。とほほ。

2007-05-14

バンドを10年続けると云ふこと

高橋です。

なんと10年近く、参加し続けている
バンドがあります。

その名は、"nuts"(ナッツ)。

けっきょく、その立ち上げから加わって
現在も居残っている唯一のメンバーに
なってしまいました。

nutsのバンマスである堀添クンは※シネルパ
というバンドの初期メンバーでした。

シネルパを抜けて、nutsを立ち上げたのが
10年ほど前。当初から、nutsのすべての
詞・曲を担当しています。


ドラム初心者の女の子を中心に据えたバンドを画策。
それがそもそものnuts結成のいきさつで、そこに高橋も参加。

そして現在。

友達の友達、、、音楽の輪は広がって、新たな構成員を迎え、
何度目かわからない再々再々...活動を始めることになりました。

2名の女性(まゆぼん per,vo / サットゥ sax)は行雲流水でも
活躍しているメンバーです。

さらに新メンバーになる2名の男性(チカラくん ds / ヒロくん key)、
そして高橋(b)、バンマスの堀添クン(g,vo)の6人編成。

これが今のnutsです。

実に、ライブは数年ぶり。

10年間で実質的な活動日数は1年にも満たないでしょう。

それでも10年という月日を通して一つのことを続けてきた、という
ことには変わりなく、とても大切で他にはない愛おしいものです。

自分にとってはそんなバンド、nuts。一度、聴いていただければ
みなさんにも、このキモチわかってもらえるかもしれません。

ライブの度にメンバーチェンジがあったので、今回も初ライブ!

初夏の風のように爽やかで心地よいサウンドをお届けします。

どうぞ、よろしくお願いします。


● nutsリハーサル音源 → 「chirp chirp

「chirp chirp」
(詩・曲 堀添雄二 / 演奏 nuts[ドラムレスver.] / 録音 2007/05/13)


********************************

『Insense』

【LIVE】
望月丹生(from やっほー!BAND)、Eri Bill Orchestra、
オサ、育とアッキー、奥村有子、そして"nuts"

【DJ】
MIZUYO


■ 2007年05月17日(木)

■ 吉祥寺 曼荼羅
(「吉祥寺駅」南口より徒歩2分、0422-48-5003)

■ 18:30開場 / 19:00開始

■ ¥2000(前売り、ご連絡下さい!) / ¥2200(当日)+1 DRINK ORDER

********************************


※シネルパ
(行雲流水の一員でもあります山我さんは、ずっとシネルパを支えており、
最近ではキュートなボーカルも聴かせてくれます。その最新アルバムには
これまた行雲流水のクルーである、庄司氏、山田氏が参加、アルバムの
ディレクションに青木氏も関わっております。必聴ですよ!)

2007-05-12

『電子念佛機』とは何か:上

我らクリエイト・ファンタスティカリー・チームは
先頃、香港in/outで中国(広州・開平)を巡る旅に出た。

旅の途中、日本国内では、なかなか触れることの
できない※(1)道教の寺院をいくつか訪ねる中で、
信仰心の篤い香港の人々が跪く姿を垣間見、
朦々と煙る渦巻き型線香の香りに包まれ
読経に鉦と太鼓の音、そこに様々な祈りの声が
混じる喧騒の中、夥しい色のキッチュ過ぎる
お供え物たちに導かれ、我々はどういうわけだか
※(2) 『電子念佛機』(!?)に辿り着く結果と
相成った。


※(1)道教

中国の民間信仰をベースに様々な思想、教義を取り込んで発展。
不老長生、現世利益をメインの、とっても”現実的”な教え。
詳しくは コチラ → 「道教

※(2)『電子念佛機』
いつでもどこでも仏さまや観音さまといっしょ、という手のひらサイズの
大変便利極まりない機能を有したこの『電子念佛機』は、その名の通り
24時間、あらゆる場所とシチュエーションで、仏さまたちの御心を
電気仕掛けにより拝聴できるという代物で、基本的には各種仏教(宗派)の
お経が延々と反復するサウンドプレーヤーである。

他にも、仏さまたちの光り輝く御姿を、これまた電気仕掛けによる
レインボーカラーのライティング効果によって浮かび上がらせたり
するものなど多種多様な形態がある。

そもそも香港における宗教は、その地の利(東南アジアとの交通の要所かつ
フリーポート)に、イギリスと日本における統治の歴史が加わった
マルチカルチャーな国際都市であったりするので、仏教、道教、キリスト教、
ユダヤ教にイスラム教、ヒンズー教にシーク教、あらゆる教えが花盛りだが、
9割は『道教と仏教に儒教の要素が加わったもの』(香港政府情報局による)
ということだ。

そんな宗教大博覧会状態の香港において、我々は、ここで生活する方々の
憩いと祈りの場の一つである油麻地の※(3)天后廟で、たまたま法事法要(と思う)
を執り行っているところに出くわした。

※(3)天后廟

海の守護女神、天后を祀った廟。
なので、香港という土地柄あちこちにある。
ここでは半島側の油麻地というところにある天后廟。









現世とまったく変わらないように、あの世で不自由のないように、こちら側の
人々は本当に熱心に祈り、たくさんのお供え(五果や金紙・銀紙)をする。それは
当然のことだが、自らがあちら側に行ったときにもまた、家族親族友人らに
熱き祈りをささげてもらうための貯金のようなものでもあるのだろう。

それにしても、これらの廟や寺院に足繁く通う香港の方々の信心深さには本当に
並々ならぬものを感じた。しかし、日頃なかなか足を運ぶことのできない方の場合は、
いったい、、、その答えは、ジオラマチーム(藤野・高橋)が出会った心優しき
アンティーク店の主人から得ることができた。

一旅行者の思いがけないであろう質問にも丁寧かつ親切に教えてくれたこの主人は
店番をしながらさりげなく読経のような音を流していた。テープ?いやこれこそが
今回のメインテーマである『電子念佛機』だったのだ。

このいつでもどこでも小さな祈りの空間を生み出すこの機械が、ここ香港には
存在する。これこそが香港人の信心深さの一端ではないだろうか。我々は彼らの
深い思いをまた別のカタチで見出した、というわけだ。(のちほどこれは我々の
見当違いではなかったことがわかる)

店番をしてようが、地下鉄に乗ってようが、これさえあれば、どんな時も、どんな
場所も天后廟だ。学業や仕事が忙しくても、これを持ってりゃ※(4)文武廟だし、
遠くて面倒だったり、身体の具合が悪くても、こいつがあるなら我が家は即座に
※(5)黄大仙廟だ。いつだって己の信ずるものの近くにありたいと願う気持ちが
出現させたのが『電子念佛機』に違いない、そう我々は感じたのだった。

※(4)文武廟

文は分昌帝、武は関帝、お二方を祀っております。
一歩進めば、外の喧騒がウソのように大変に
落ち着くところであります。
香港最古の寺院であるということに納得。








※(5)黄大仙廟

もとは広州、1921年に現在の場所に移ったが
いまじゃすっかり高層ビルに囲まれ、
その派手さと合わせて雰囲気はよろしくないのだが
今でも香港道教寺院一の初詣の名所だそうな。








「おみやげ」にしては何か妙、「あやしいモノ」にしては何かホンキ、数々の
ネタやウワサはあったが、我が国では『電子念佛機』の真っ当な情報は著しく
不足していた。その上に、我々が旅立つちょっと前に日本のCDショップ等で
発売されていた※(6)『buddha machine』の存在がさらに我々を混乱に招いていた。

※(6)『buddha machine』
一言で言えば、『buddha machine』は『電子念佛機』の筐体と音響システムを
利用した個人の作品である。作者はfm3。伝統的な楽曲に模したオリジナルの
サウンドを9曲収録。『電子念佛機』同様、エンドレスでループします。

詳しくは コチラ → 「fm3


しかし、我々はそのアンティーク店の主人の導きによって、この『電子念佛機』
なるものの本質をようやくここにきてつかみ、さらには的確な助言で、現物を
それも複数のものを入手することができた。これで、以前からどうにも引っ掛かって
いたナゾというかモヤモヤは晴れ、それこそ頭上には光りがさした気がしたのだった。

それは、この素朴さ(外観のみならず、その使い途)ゆえの潔さと、なによりも
ここに収録された音(純粋な読経のみならずメロディー、サウンド多種多様)に、
そしてやはり『電子念佛機』の実体は、オモチャでもアーティスト・グッズでも
なく、仏具なんだ、という至極単純明快なことが見えてきたからだ。

なーんだ、そーゆーことか、とさっそく購入した『電子念佛機』順番に鳴らしては、
意味も分からないまま感激し、見事にそのサウンドにヤラレてしまったいた我々では
あったが、この深遠なる空へ、さらに突っ込んで行きたくなる気持ちがムクムクと
頭をもだげてきていた。これが帰国の2日前、※(7)重慶大厦の一室でのできごと。

※(7)重慶大厦

詳しくは コチラ → 「重慶大厦










『電子念佛機』とは何か:下 に続く

2007-05-11

お色直しができたので:その3(サウンドスケープ、アップします)


今回はリニューアルではなく、追加です。
先日お届けした中国旅行の写真、その第二弾をお送りいたします。


広州。イギリスとフランスの租界(19世紀後半から中国の開港都市に
居留した外国人が行政権と警察権を握っていた地域)の面影を色濃く
残す美しいお堀の中に我々は滞在いたしました。

10分ほど歩けば、煉瓦畳やまだ舗装もされず土がむき出しの路地。
そこに広げられた果物や野菜、そしてあらゆる生き物たち。
そぼ降る雨の中、まばらな街灯に照らされて歩き出します。

到着した広場にはあふれる人とビルから降り注ぐ数々の電飾の光。
秋葉原駅前かリトル歌舞伎町。半径数百メートルに両極端が
混在するのが現在の中国なのかもしれません。

そんな都市、広州篇どうぞ。


● cf photo → コチラ

まずは、このページでご覧になりたいものを選んでいただき、クリック。
ページが改まりましたら、右上にあります View as slideshow をクリック。
あとは、ほっといても写真がドンドン変わってラクちんです。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

そして、我々の見た広州をさらに近くに感じていただこうとアメフォンの
レコーディングによります『広州サウンドスケープ』をお届けいたします!
この音を聴きながら、写真をながめれば、もう、そこは、広州ですよ。

やわらかい雨が降る街角に佇み、通りを行き交う人々を見つめ、
その足音に耳を傾ける。。。


● 広州サウンドスケープ(cf photo) → コチラ

まずは、上記と同じcf photoのページに進んでいただき、一番上の
2007.03 guangzhou,Chinaを選んでいただき、クリック。
ページが改まりましたら、左中にあります写真説明文の下の
>> 再生 をクリック。あとは、ほっといても素晴らしい音が流れ出します。

広州サウンドスケープ
(Amephone録音 2007/03/11 10m22s マスタリング済み、未編集)

2007-05-08

プラトン探検隊のみなさんからメッセージが届いてます

ワ・レ・ワ・レ 
プ・ラ・ト・ン・タ・ン・ケ・ン・タ・イ ノ
タ・ン・サ・ホ・ウ・コ・ク ヲ
ス・ル

コ・コ ヲ
ミ・ヨ       → 「プラトン探検隊探査報告

私たち地球人は彼らの活動を、我々で言うところの「音楽演奏」のように
捉えてしまいがちだが、プラトン探検隊いわく『とある惑星探査の模様』を
撮影しただけのもの、とのことだ。それでもなぜか、彼らの探査報告は
私たちの目にはライブでもしているかのように見えてしまう。それならば
彼らのレポートは「音楽」を楽しむかのように、解析を進めていくのが、
最も良い方法と言える。(後略)

【2007惑星探査報告調査委員会地球支部白書】より引用

2007-05-07

むしろ逆でshow


いったい、ここのどこを交通整理しようというのですか?こんなに天気の良い屋上の。
そうですよね。どうりで、そんなに日焼け止め塗って、のほほんとした顔
なさってるんですよね。だったら誰かと代わってあげたらいいのに。。。

♪ 語りかける機関車と無言の子ども→「



どうなさったんですかっ!そんな目つきしちゃって。。。
あっ、眼鏡をした上にさらに隠さなければならない
その右目に何かあったのですね。店番はもういいから
一刻も早くお巡りさんのとこに行きましょう。

♪ 無言の彼の前で大きな声を出す大人→「


※マハブーブ(MAHBUB)は御徒町駅すぐの
 おいしいインド料理屋さんです。
 サグ(ホウレンソウ)カレーも
 プラン(エビ)カレーも
 大変おいしゅういただきました。