2007-10-16

グレイソ・ヌッサーヅ:2 (私とスポーツ)


音楽で”熱くなりたい”という
気は当の昔に消え失せたが、
スポーツで、はずっと持続してたりする。

といっても”やる”じゃなくて、
もっぱら”みる”。それもテレビで。それも深夜に。
大学生の時のテニスかスキーどっちかが
最期に”やった”スポーツだ。

それ以降は、さらに何でも見ることにした。
それ以前は格闘技中心。※参考

新日全日も国際も女子も
柔道も相撲もボクシングもベニー”ジェット”ユキーデも見てた。

他は、あまりにも王道だった野球にはあまり興味持てなかったけど、
まだまだマイナー感の否めなかった、サッカー、中でも、ケンペス
ソクラテス、にグっときてたし。、、、南米好きだったんだな、今にして思えば。

バスケなどもやってたが(小・中に)それは背伸びると信じてたからで、
(前から2番目=”前へ倣え”で、かろうじて腰に手をあてないで
すんでたのが、高校入る前にちゃんと伸びた、胴中心に。75いった)
どっちかと言うと、昔っから見る方が好きだった。

スポーツの祭典、とにかくいっぱい見れるオリンピックはロス五輪
からハマった。女子バレーをメインで狂ったように応援したっけ。

で、現在、
熱狂の渦に身を置くのは苦手だし、逆にちょっと冷めちゃうぐらいだから
ミッドナイトに、それも一人、よしっ、って盛り上がるのがいい。

夜中のテレビのスポーツ中継って、やっぱり”深夜枠テイスト”で
垢抜けるか、成長するか、”当たる”とゴールデン
に進出ってことになるんだけど、この、密かな楽しみ感、勝手に
選手たちの成長願ってる感が魅力だったりするんだよね。
”いい時間”に行っちゃうとキモチ的にも物理的にも離れてしまうんだけど、
それまでは日曜日のお父さんのおシゴトのように夜中のテレビをハシゴだ。

パリダカ全女、芸能人女子フットサル
(→スフィアリーグ、→すかいらーくグループ)...。
忘却の彼方へ旅立ったものから、発展途上の進行形のものまで。

継続組は、夜中のスポーツ中継の看板番組、F1は、
ホントずーっと。タイレル(ティレルじゃないよ、あくまで)の6輪
にときめいたから。

いろんな意味で荒れた2007年だったなぁ。あ、最終戦が残ってるか。
チャンピオンは誰がなってもいい。パイロット自身の能力は皆スゴい。
だから”政治”で動くのは興ざめ。だったらエンジン音のみの中継で
何も知らない方がいい。

モータースポーツなら他にはモトGP。バイク乗りだった(TS-250)から
レースは気になる。今回のノリックの件は本当に残念。
サーキットの外ってことにさらに胸が痛む。

残念と言えば、驚異的な快進撃を毎回見せてたからねぇ、長兄がさ。
何年前だ、あれ?スゲーのが来たなぁ、って思って見てたからなぁ。
せっかく、大ベテランのお兄さんの胸借りれたのになぁ。
真ん中くんは、もったいないことしたよ。

お兄ちゃんも当時者の弟くんも、当然のことながら誰よりも、宇宙一
強くなりたいのだろう。そしたら、大人のイヤラシイ世界にこれ以上付き合わず
外に出たらいい。ついでに親離れ、子離れもできるし。大海を知れる。
HIROYAくんしかり、錦織くんしかり、きっとホンモノになるよ。

ちっちゃい時は、めーいっぱい甘やかして、甘えて、やすらぎの地を
作って、もらったらいいんだと、「新美南吉童話集」読んでて思った。
それがあればその後、思い切って外に飛び出せる。

「おじいさんのランプ」の一文。「おとなが、こうして遊べといったことを、
いわれたままに遊ぶというのはなんとなくばかげているように子どもには
思えるのである。」

ここからが勝負。安心の上に孤独をもって立ち向かう、そいつが大人だ、と
新美南吉のお話を読んでいるとつくづく思う今日この頃。 つづく

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