我らクリエイト・ファンタスティカリー・チームは
先頃、香港in/outで中国(広州・開平)を巡る旅に出た。
旅の途中、日本国内では、なかなか触れることの
できない※(1)道教の寺院をいくつか訪ねる中で、
信仰心の篤い香港の人々が跪く姿を垣間見、
朦々と煙る渦巻き型線香の香りに包まれ
読経に鉦と太鼓の音、そこに様々な祈りの声が
混じる喧騒の中、夥しい色のキッチュ過ぎる
お供え物たちに導かれ、我々はどういうわけだか
※(2) 『電子念佛機』(!?)に辿り着く結果と
相成った。
※(1)道教
中国の民間信仰をベースに様々な思想、教義を取り込んで発展。
不老長生、現世利益をメインの、とっても”現実的”な教え。
詳しくは コチラ → 「道教」
※(2)『電子念佛機』
いつでもどこでも仏さまや観音さまといっしょ、という手のひらサイズの
大変便利極まりない機能を有したこの『電子念佛機』は、その名の通り
24時間、あらゆる場所とシチュエーションで、仏さまたちの御心を
電気仕掛けにより拝聴できるという代物で、基本的には各種仏教(宗派)の
お経が延々と反復するサウンドプレーヤーである。
他にも、仏さまたちの光り輝く御姿を、これまた電気仕掛けによる
レインボーカラーのライティング効果によって浮かび上がらせたり
するものなど多種多様な形態がある。
そもそも香港における宗教は、その地の利(東南アジアとの交通の要所かつ
フリーポート)に、イギリスと日本における統治の歴史が加わった
マルチカルチャーな国際都市であったりするので、仏教、道教、キリスト教、
ユダヤ教にイスラム教、ヒンズー教にシーク教、あらゆる教えが花盛りだが、
9割は『道教と仏教に儒教の要素が加わったもの』(香港政府情報局による)
ということだ。
そんな宗教大博覧会状態の香港において、我々は、ここで生活する方々の
憩いと祈りの場の一つである油麻地の※(3)天后廟で、たまたま法事法要(と思う)
を執り行っているところに出くわした。
※(3)天后廟
海の守護女神、天后を祀った廟。
なので、香港という土地柄あちこちにある。
ここでは半島側の油麻地というところにある天后廟。
現世とまったく変わらないように、あの世で不自由のないように、こちら側の
人々は本当に熱心に祈り、たくさんのお供え(五果や金紙・銀紙)をする。それは
当然のことだが、自らがあちら側に行ったときにもまた、家族親族友人らに
熱き祈りをささげてもらうための貯金のようなものでもあるのだろう。
それにしても、これらの廟や寺院に足繁く通う香港の方々の信心深さには本当に
並々ならぬものを感じた。しかし、日頃なかなか足を運ぶことのできない方の場合は、
いったい、、、その答えは、ジオラマチーム(藤野・高橋)が出会った心優しき
アンティーク店の主人から得ることができた。
一旅行者の思いがけないであろう質問にも丁寧かつ親切に教えてくれたこの主人は
店番をしながらさりげなく読経のような音を流していた。テープ?いやこれこそが
今回のメインテーマである『電子念佛機』だったのだ。
このいつでもどこでも小さな祈りの空間を生み出すこの機械が、ここ香港には
存在する。これこそが香港人の信心深さの一端ではないだろうか。我々は彼らの
深い思いをまた別のカタチで見出した、というわけだ。(のちほどこれは我々の
見当違いではなかったことがわかる)
店番をしてようが、地下鉄に乗ってようが、これさえあれば、どんな時も、どんな
場所も天后廟だ。学業や仕事が忙しくても、これを持ってりゃ※(4)文武廟だし、
遠くて面倒だったり、身体の具合が悪くても、こいつがあるなら我が家は即座に
※(5)黄大仙廟だ。いつだって己の信ずるものの近くにありたいと願う気持ちが
出現させたのが『電子念佛機』に違いない、そう我々は感じたのだった。
※(4)文武廟
文は分昌帝、武は関帝、お二方を祀っております。
一歩進めば、外の喧騒がウソのように大変に
落ち着くところであります。
香港最古の寺院であるということに納得。
※(5)黄大仙廟
もとは広州、1921年に現在の場所に移ったが
いまじゃすっかり高層ビルに囲まれ、
その派手さと合わせて雰囲気はよろしくないのだが
今でも香港道教寺院一の初詣の名所だそうな。
「おみやげ」にしては何か妙、「あやしいモノ」にしては何かホンキ、数々の
ネタやウワサはあったが、我が国では『電子念佛機』の真っ当な情報は著しく
不足していた。その上に、我々が旅立つちょっと前に日本のCDショップ等で
発売されていた※(6)『buddha machine』の存在がさらに我々を混乱に招いていた。
※(6)『buddha machine』
一言で言えば、『buddha machine』は『電子念佛機』の筐体と音響システムを
利用した個人の作品である。作者はfm3。伝統的な楽曲に模したオリジナルの
サウンドを9曲収録。『電子念佛機』同様、エンドレスでループします。
詳しくは コチラ → 「fm3」
しかし、我々はそのアンティーク店の主人の導きによって、この『電子念佛機』
なるものの本質をようやくここにきてつかみ、さらには的確な助言で、現物を
それも複数のものを入手することができた。これで、以前からどうにも引っ掛かって
いたナゾというかモヤモヤは晴れ、それこそ頭上には光りがさした気がしたのだった。
それは、この素朴さ(外観のみならず、その使い途)ゆえの潔さと、なによりも
ここに収録された音(純粋な読経のみならずメロディー、サウンド多種多様)に、
そしてやはり『電子念佛機』の実体は、オモチャでもアーティスト・グッズでも
なく、仏具なんだ、という至極単純明快なことが見えてきたからだ。
なーんだ、そーゆーことか、とさっそく購入した『電子念佛機』順番に鳴らしては、
意味も分からないまま感激し、見事にそのサウンドにヤラレてしまったいた我々では
あったが、この深遠なる空へ、さらに突っ込んで行きたくなる気持ちがムクムクと
頭をもだげてきていた。これが帰国の2日前、※(7)重慶大厦の一室でのできごと。
※(7)重慶大厦
詳しくは コチラ → 「重慶大厦」
『電子念佛機』とは何か:下 に続く
2007-05-12
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿